THE WORLD.





「ただいま戻りました!」
 成花(せいか)第一高等学校の名物、中庭に位置する硝子(がらす)張りの美しい温室の扉を開いて、(ひろむ)が元気よく声を上げた。
 実験・観察用の植物や観葉植物がいきいきと緑の葉を輝かせている。だがそれよりも種類が豊富なのは薔薇(ばら)だ。
 長い歴史の中でいつの間にか埋もれ、廃墟になってしまった温室を復活させた当時の生徒会は、役員全員が園芸同好会の肩書を持っていた。彼らが温室復活の火つけ役となったのだ。
 温室復興活動は幸運にも代々引き継がれて、同好会は部に昇格、現在に至る。
 実際見事なものだ。
 外から見ても中から見ても、これが一時でも打ち()てられた廃墟だったとは(にわ)かには信じ難い。硝子はすべて丁寧に磨かれており、中の植物も花の色や背丈を計算して見栄えよく、手入れしやすく配置してある。
 観音開きの扉を開いて中に入るこの瞬間が、弘は好きだった。
 緑の風が押し寄せてくるのが心地よい。硝子越しに踊る陽光が美しいスペクトルを描く。
 すべての色彩が鮮やかに閃く小さな庭。
「おかえり。お疲れ様」
 穏やかな声が、春の陽気に少々頬を火照(ほて)らせた弘を労った。知らず自然に、声の方向に弘は微笑む。
 葉が繁る奥から、不思議と音をさせずに八代(やしろ)が出てきた。彼は足音を立てないのだ。長い手足で器用に葉や鉢植えを避けつつ、お決まりの場所に移動する。温室の片隅の、蔓薔薇(つるばら)の意匠の白い円卓と二脚の椅子、一脚の長椅子が設えてある、園芸部員だけのお茶会席へ。
「顔赤いよ。そんなに暑かった?」
 弘に椅子を勧め、アイスティーの用意をしながら(たず)ねる。
 園芸部員に課せられている仕事は、温室内に限らない。学校の敷地内すべての植物の世話を一手に任されている。もちろん、用務員の助っ人や、影で『遅参者(ちさんもの)(うたげ)』と呼ばれる遅刻常習犯に対する罰ゲーム的な臨時の下僕(八代談)はあるものの、基本的には部員で事をすませるのが暗黙の了解のようになっている。
 現在部員は二名、絶望的に人員不足だ。
 弘は先ほど、「ちょっと外回りを見てきます」と挨拶して出ていった。彼女はわざわざ指図するまでもなくくるくるとよく働くので、八代も八代で好きにさせている。だから特に気に留めることもなく送り出したのだが、「ちょっと」と言ったわりに戻りが遅く、八代は柄にもなく少し心配していたのだった。
 そんなことは億尾(おくび)にも出さないが。
 長年かけて培われた人間の性格、そうそう容易に変わるはずもない。三つ子の魂百まで、(すずめ)百まで踊り忘れず。
 八代は相変わらず傍迷惑に(ひね)くれている。
 そんな八代と対等に渡り合えるのは、目下のところ弘くらいのものだ。
 弘はにっこりと笑った。
「暑かったわけではないのですが、下を向いていたので。頭に血が上ってしまいました」
 ……対等に渡り合っているというよりは、絶妙に噛み合っていないと表現した方が正しいかもしれない。
 真相はともかく、ふたりの関係は良好だ。
 八代が()れてくれたアイスティーをありがとうございますと受け取って、ひとくち飲む。爽やかに冷たい。身体の中心がすっとする。弘はグラスを持ったまま、ほのぼのと幸福な溜息をついた。
「卒業式、つつがなく終わって安心しましたねえ」
「俺は出てった人間より入ってくる人間の方が気になりますけどねえ。楽隠居(らくいんきょ)したいとは言わないけど、部員は欲しい」
「そうですね。大変ですものねえ。落ち葉は掃いても掃いても落ちてきますし、花がらは摘んであげないといけませんし」
 のんびりと会話しながら、弘は一年をふり返る。
「……怒涛(どとう)の、一年でしたね……」
 たくさん泣いた。つらい思いもしたし、苦しいときもあったし、傷つけて、傷ついた。
 色々なことを知った。
 学校という箱庭に守られ、囲われて、それでもここにはここの世界があり、それは決して狭いと一言で片付けていいものではなかった。
 様々な想いがあり、数えきれないほどの願いや祈りが(あふ)れていた。
 どんなことも、がんばればなんとかできるものと信じていた。
 今は、どうしたってどうにもできないことがあると知っている。
 そして、それでも「がんばればどんなことだってできる」と信じることが大切なのだということも。
「激動の、一年でしたよ」
 微苦笑して、八代が(つぶや)いた。
 (うなず)く代わりに弘は微笑む。
 弘のその微笑が泣きたくなるほど(した)わしくて、八代は視線を転じた。大きな硝子越しに、抜けるような青空が見える。春先だからだろう、まだ(はげ)しさはなく穏やかな色だ。次子(つぎこ)の空だ。
「次ちゃんの色だ」
 弘も同じことを考えていたらしい。思わず小さく笑ってしまう。
 美術部では、毎年一年生の中からひとりが部長に選出されて、百号のキャンバスに絵を描くことになっている。それが美術部の文化祭での一番の目玉だ。
 テーマは自由。なんでもいい。
 弘は思い出す。
 できたぞ、といつも以上に無愛想に言った次子が見せてくれたキャンバスは、一面空だった。
 青でもない、水色でもない。
 雲が描かれているわけでもなく、ただやさしく青い、それだけなのに。
 空、と呼ぶしかないほどに、百号のキャンバスに切り取られていたのは間違いなく空だった。
 その年、美術部と園芸部はコラボレーションに踏みきった。前代未聞のことだ。
 園芸部は温室を体育祭から文化祭までの一週間ずっと一般公開し続け、美術部に絵画や彫刻を飾る総合広場として開放した。次子の絵は大きさの関係もあり、温室の最奥、硝子張りの壁一面を使って展示された。
 むろん、飾ろうと思えば他の絵画も並べることはできた。次子は「そんな贅沢にスペース取るのはもったいないだろ」とか言っていたが、関係者各位満場一致で一枚だけを飾ろうということになった。多数決だったため、次子はそれ以上文句も言えなかったらしい。
 文化祭当日、弘は次子の絵の前で、少し泣いた。
 ()いてもどうしても教えてくれなかった、当日になってはじめて知った絵のタイトルが、『はつ恋』だったから。
 次子は時折温室にやってくる。咲いている花や(つぼみ)、時には葉や茎だけを写生して、タイミングのいいときは茶菓子の相伴(しょうばん)(あずか)って飄々(ひょうひょう)と帰っていく。彼女の足取りは軽い。風が吹き過ぎていくみたいに。
 伊織(いおり)鷹羽(たかは)に告白し、ふられた。
 その日伊織は泊まりがけで弘の部屋で泣き(わめ)き、携帯電話で次子を無理矢理呼びつけて巻き込み、さらに当然の流れとして綾野(あやの)も巻き込んだ。が、東の空が白む頃、気がつくと三人は車座を組んでトランプに興じていた。失恋の涙が何故七並べに変わったのか、経緯は既に記憶にない。ただ、あとひとりメンバーが多かったら、確実に麻雀をやっていただろうとは思う。柘植(つげ)家では麻雀は基本的に五人のローテーションでやるのだ。
 泣いて喚いてすっきりして、伊織は相変わらずアルバイトを掛け持ちして多忙な日々を送っている。たまの休みには召集令をかけ、全力で遊びまわる。実に騒々しい。彼女らしい。伊織は元気だ。
 綾野は塾通いをやめた。両親との七日間にも及ぶ大討論の末、学年順位を一桁以内に死守することを条件に、アルバイトの許可を勝ち取った。彼女は現在、紺の(かすり)に赤い帯を締め、たすきをかけた姿も凛々(りり)しく甘味処で働いている。
 愛想こそ及第点には届かないものの、要領よくてきぱきと仕事をこなし、見映えする彼女は今ではちょっとした看板娘だ。真偽のほどは定かではないものの、綾野目当ての男性客が増えたとか増えないとか、一部の女の子から熱烈な支持を集めているとかいないとか。
 表情はずいぶんやわらかくなったし、笑うことも多くなった。
 鷹羽は目下料理修業の真っ最中だ。家事をこなせなければ独居の許可が下りるわけもないよね、というのが下敷きになっている。監督をしているのは、同居している従兄弟。園芸部の顧問教諭でもある。弘が教えることもあるが、今のところ外見、味双方の面でまともに料理と呼べるものができたことは一度もない。とりあえず卵を割れるようになったのが唯一の飛躍的な進歩だ。
 弁当箱にちょっと(いびつ)な卵焼きやら、所々炭になっているようなウインナーが入っているのも、今や馴染みの昼の光景になっている。かろうじて食べ物とわかるので、それらは従兄弟の手を借りての作品だと推測される。
 夏休みには、綾野は初参加となる、恒例の宿題合宿が弘の自宅で行われた。八代も交えてみんなで浴衣を着て花火を見に行ったり、海に泳ぎに行ったりもした。結局今年も弘は五メートル以上泳げなかった。来年こそ十メートル、と心に誓う。
 学校を見下ろす権現山に紅葉狩りに行ったり、クリスマスにパーティーをしたり。
 ――まだ一年。
 たった一年。
 そのごく(わず)かな期間に、こんなにも目覚ましく弘を取り囲む世界は変化した。
 自分ではよくわからないが、恐らく弘も変わったのだろう。
 世界は、人生は、結構簡単に変わる。硝子越しの光が乱反射して色鮮やかに輝くように、きっとそれはとても自然なことなのだ。
 思ったら嬉しくなった。
 身体の奥に、何かまだ見たこともない美しい花の種が眠っているような、それが今にも芽吹こうとぬくもった土を持ち上げようとしている、そんな気がした。
久我(くが)先輩」
「ん?」
 弘は靴を脱いで、椅子の上に正座した。
 (えり)を正して背筋を伸ばす。八代は遠慮の欠片もなく怪訝(けげん)そうな視線を寄越してきた。
「柘植サン。変ですよその格好」
「はい。でも大切なお話をさせていただきたいので、お許しください」
 少し、胸の底がどきどきしている。
 ふうと深呼吸した。落ち着くための一息。目を閉じて、開く。やっぱりまだどきどきしていたけれど、それはクリスマスの贈り物を開くときの気持ちにも似ていた。
「実はわたし、本日で十六歳になりました」
「はあ?」
 きりっとして告げた言葉に、八代が()頓狂(とんきょう)な声を上げる。
「久我先輩でもそんなお顔をなさるのですね」
 興味津々、少しおかしそうに笑う。八代は実は椅子からずり落ちそうになるほどの衝撃を受けていた。なんとか落ちずにとどまる。
「初耳なんだけど」
「はい。今申し上げましたから」
「誕生日なの? 今日?」
「はい。周りの皆様のおかげで、大病を(わずら)うこともなくめでたくこの年になりました」
「……なんにも用意してないよ……」
 色がついていそうな盛大な溜息をついて、八代はテーブルに突っ伏した。
 油断していたとしか言いようがない。
 三月十四日が、ホワイトデーが誕生日だなんて聞いていない。八代の誕生日のちょうど一ヶ月後が誕生日だなんて。
 バレンタインは、みんなで弘お手製の特大チョコレートケーキを食べた。「お誕生日おめでとうございます」と差し出された包みの中に入っていたのは、茶碗と(はし)と箸置き。鷹羽の入れ知恵だろう、心に当たる人物がほかにいない。家できちんとした飯を食えということに違いない、半ば硬直していた八代が弘の肩越しに見た鷹羽の顔には、未だかつてないほど明瞭に「してやったり」と書かれていた。この小舅(こじゅうと)め、と歯噛みしたのはほんの一月前のことなのに。
 弘はくすくす笑った。八代がそんなふうに思ってくれることが嬉しい。
「大丈夫ですよ。用意してまいりましたから」
 顔を上げた八代は、再び怪訝そうな視線を投げる。
「え、何を?」
「プレゼントです」
「柘植サンの誕生日なんだよね?」
「はい。ですからわたしの」
「を、柘植サンが用意してきたの?」
「はい」
「この会話おかしいと思わない?」
「いいえまったく」
 なんだろうな、絶妙に噛み合わない。
 弘はきちんと正座している。椅子の上に。妙だ。
 (いぶか)しんでいる八代を華麗に無視して、にこにこしながら説明をはじめる。
「わたしが先輩からいただきたいのは、物ではないのです。わたしが用意してきたものを、できることなら受け取っていただきたいのです。ですがそれは今後とても重大な意味を持ってまいりますので、お受け取りになるか否かは熟慮の上でお願いいたします」
「……。うん。よくわかってないんだけどつまり俺がその何かを受け取るか受け取らないか、その判断がプレゼントってこと?」
「はい! そのとおりです久我先輩!」
 なんでかな、たぶん褒められてるんだけど微妙に喜べない。
 弘は胸の前で両手を合わせ、にこにこしている。何がそんなに嬉しいのだろうと思うほど、幸福そうに。紅潮しているやわらかそうな頬が、きらきらしてさえ見える。
 八代は苦笑した。弘といると、幸福はすぐに感染して、くちもとが緩む。
「なに?」
 尋ねると、弘は少しどきりとしたようだった。恥じらうように視線を落とし、制服のスカートのポケットから小箱を取り出す。弘のてのひらでも包めてしまいそうなほどの小さな赤い箱。
 弘は抱きしめるように両手で小箱を包んだ。
 とても貴重なもののように。
 そっと八代に差し出す。蔓薔薇の意匠の白い円卓に、小箱の赤はとてもよく映えた。天井からのプリズムが、ヴェールのように揺らめく。
「開けても?」
「はい」
 軽々しく触れてはいけないもののような気がした。何かが胸に詰まったように息苦しくなる。
 八代は壊れ物を扱うように、――まだ新しくやわい茎や花の蕾に触れるときのように慎重に、丁寧に小箱を取った。懐かしい夢の中のオルゴールのように手に馴染んだそれは、中身を推測できないほどに軽い。
 弘の鳶色(とびいろ)双眸(そうぼう)が、少し揺れながら見つめている。
 何を想っているのだろう。
 パンジーのようにひっそりと物思いに(ふけ)るひと。やさしく甘い夢を見るひと。
 蓋に手をかけ、箱を開くのと、弘が声を発したのは同時だった。

「結婚してください」

 言葉を、失う。
 思考回路が停止する。
 大きく開かれた温室の入り口から、春の強い風が吹く。弘の濃い茶の髪を攫い、八代の短い黒髪に光を躍らせる。
「……柘植サン」
 やっと出てきたのはたったそれだけだった。忘我(ぼうが)の呟き。
 赤い小箱の中に収められていたのは、白詰草(しろつめくさ)でつくった指輪だった。
 花冠(はなかんむり)を編むのと同じ要領なのだろう、経験はないが知識なら持っている。
 たった一輪の白詰草で丁寧につくられた指輪。
 やわらかに白い花は、まだ瑞々(みずみず)しかった。
「……これ、摘みに行ってたの?」
「はい。外回りのお仕事をしに行ったのも本当ですが、咲いていたらいいな、と思って探しはしました」
 そして咲いていたのだ。
 春の陽気に頬を薔薇色に染め、輝くような笑顔で扉を開いてここに戻ってきたとき、弘の手にはもう、この運命は存在していたのだ。
「……誕生日。――おめでとう」
 こんな言葉を誰かに言う日が来るなんて。
 誰かが生まれた日を祝福する日が来るなんて。
「ありがとうございます」
 ――感謝、する日が来るなんて。
「今まで、……この瞬間まで生きることを許してくれた何か、それは、愛と呼んでいいと思います」
 八代は望まれて生まれてきた子どもではない。
 彼は実の父親を知らず、母親からは逆恨みされた挙句(あげく)棄てられて、養父にも(うと)まれている。
 誰も幸せを約束されて生まれてくるわけではない。
 幸福になるために生まれてくるわけではないのだ。
 けれどそれだけしか知らずに生きていくには、ひとの一生は長すぎる。人間の寿命はとても短いのに、哀しみや孤独だけを友として生きていくには、あまりにも時は永い。
 だからひとは折り合う。
 愛したり愛されたり、時に傷つけ合いながら。
「ひとを愛してはいけないひとも、愛されてはいけないひともいないのですよ。――神様が許してくださった素晴らしいものです」
「……俺は、神様を信じてないよ」
 ――信じられないんじゃない。信じないんだよ。
 そう言って白い花を千切(ちぎ)った日を思い出す。弘の魂に触れた日を思い出す。
 自分自身の変化に驚く。
 信じていないという同じ言葉を口にしながら、八代の温度はあの日と今とでまったく違う。
「では、わたしを信じてください」
 いつも、真っ直ぐに正面を見据える鳶色の双眸。嚆矢(こうし)の眼差し。八代の醜さに触れてなお(けが)れない、触れることを(いと)いさえしない絶対不可侵の聖域。
 花色の唇が甘やかな微笑を(たた)える。
「久我先輩。わたしのこと、お好きですか。ほんの少しでかまいませんから。大切だと思ってくださいますか」
 八代は泣きたいのか笑いたいのかわからない気持ちで苦笑した。
 こうなったら、弘に敵う筈がないのだ。
「わたしは久我先輩を好きなので、あなたがしあわせであってくれたらうれしいのです。わたしもしあわせなのです。ですから、あなたが幸福に生きていらっしゃるところを見ていたいのです、ずっと。近くで」
「それで結婚なの?」
「はい」
「短絡的だね」
「はい。でも、理に適っているとはお思いになりませんか」
「確かにね。――でも、そこは普通『私があなたを幸せにしてあげる』じゃないのかな」
 意地悪な猫のように目を細めて揶揄(やゆ)する。どうせかわされることはわかっていた。
「幸福は常にひとつの例外もなくセルフプロデュースするものですから、そこはご自分で努力なさってください。協力は惜しみませんから」
 にっこりと花が開くように笑って。
 何がそんなに幸せなんだか、嬉しそうに頬を上気させて。
「恋も知らないくせに」
 精一杯意地悪を心掛けて言った台詞(せりふ)だったのに、てんで無駄な足掻(あが)きだった。馬鹿みたいに甘く溶けた。
 これはいよいよ駄目だなと思う。八代は天を仰ぎたい。
 ――さあ、世界中の白旗よ、俺の足もとに集まるがいい。
 恋すら知らないお姫様がその台詞を言った瞬間、盛大に掲げてやるから。
 こんなに青い春の空、純白は美しく映えるだろう。
 弘は笑った。
 新緑にも至らない若芽に囲まれた花園で、硝子越しに降り注ぐ光を受けて、揺らぐ虹をまといながら。
 この庭はいつから、こんなにも光射す場所になっていたのだろう。
「でも、愛してますから!」



 ああ、まったく、なんて滑稽(こっけい)
 馬鹿だなあと、思うわけだ。
 切実に。
 恋も知らないお姫様に、玩具(おもちゃ)ですらない指輪を贈られ、いきなり結婚を申し込まれて。
 そんじょそこらの三流恋愛小説、陳腐(ちんぷ)な芝居もこれほどまでには笑えないだろう。
 間違っても惚れてはいない、恋なんかしていない。それでも愛しているのだから、これはもう仕方がない。
 天晴(あっぱ)れ、俺の完敗だ。
 そんな笑顔を見せられたら、白旗を揚げるしかないじゃないか。
 抱き寄せてキスをして愛してると(ささや)いて、死んでしまいそうなほどの息苦しいまでの幸福を噛み締めるしかないじゃないか。
 自分がここまでホンモノの破滅的馬鹿だったとはね、我ながら驚くよ。満更(まんざら)悪い気もしないんだから、本当に性質(たち)が悪い。
 ――ああ、本当に、なんて見事な未完成喜劇。
 幕が下りたらふたりきりで、この光射す庭で、とるに足らない愛すべき日々を指折り数えながらお茶をしよう。人生を(たた)え、出逢えた世界に感謝しよう。
 あらかじめ言っておくけど、カーテンコールはエスケープさせてもらうよ。もしも抜け出す俺と彼女に気づいても、呼び止めずにそっと見逃してくれると嬉しいね。
 まだ終わってはいない人生劇ではあるけれど、この出逢いと無数の想いの錯綜(さくそう)を見守ってくれた観客諸君に、ひとまずの感謝をしておこう。

 ああ、それから――

 ほんの少しでも感じ入るところがあったなら、どうかささやかな拍手をよろしく頼むよ。




 21 THE WORLD.
 「光射す庭」

 END.