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 では上半身なら問題なかったのかと問われれば答えはノーなのだから、どうしたって羞恥心はなくせない。
「あっ」
 出血の感触があった。慌てて身体を起こす。腹は痛んだが、先ほどよりはずいぶんましだった。
「あの、わたし、着替えたいのです。かまいませんか?」
 タオルと毛布を重ねて巻いてくれているらしいが、このぶんだとタオルは真っ赤だろう。せめてシーツを汚していなければいいが、自信はない。
「ベッドを汚してしまっていたら申し訳ありません。それに、シャツも」
「いいよそんなの。柘植サンの方が大事。シャワーは?」
「いただきます」
「食欲は?」
「あります」
「じゃあ、シャワー浴びたらリビングにおいで。たぶん……いいものがあるよ」
 いいもの。なんだろう。
「はい」
 見当もつかなかったが、素直に頷いた。八代が出ていくのを待って、びくびくしながら布団をめくる。
 掛け布団の枚数がいつもより多い。冷えたら大変だと思ってくれたのだろう。見られてしまったことに消えたくなるほどの羞恥心が湧いて止まらないのに、一方で安堵している自分がいる。
 何に対して安堵しているのかは、まだわからなかった。
 幸いなことに、ベッドは無事だった。その代わり、タオルは予想以上に大変なことになっている。毛布にもごくわずかに染みていた。
 あれほどの量の血液が足を伝ったのに、内腿はすっきりときれいになっていた。丁寧に拭ってくれたらしい。
「うう、伊織ちゃん、ありがとう」
 さすが同性、心得ていて、伊織は『特に多い日の夜用・羽根つき』を買ってきてくれていた。おまけに、一緒に買ってきたらしく生理用の下着まで入っている。
「お礼、何にしよう……」
 とりあえず、レシートをもらわなければならない。友人とはいえこればかりは別だ。出してもらうわけにはいかない。時間も遅いのに、こんな遣いに出てくれたことには感謝があるばかりだった。
 タオルに心ばかり残ったきれいな部分で、新たに汚れてしまった箇所を拭う。下着をつけると、やはりほっとした。
 きちんと立つとよくわかる。八代のシャツは思いのほか大きかった。
「ワンピースになっちゃう」
 肩がずり落ちそうになる。(ぼたん)が留まっているのを確認して、胸もとをかき合わせ、ぎゅっと握った。鞄の中からB4サイズの巾着を取り出す。中身は着替えセット一式だ。それをしっかり胸に抱えて、弘は音を立てないようにして寝室を出た。
 もう隠すも何もないのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
 シャワーを浴び、さっぱりして、やっと人心地ついた。フードが少し大きめの、(こん)のパーカーワンピースを着る。じーっとファスナーを引き上げていて気づいた。
「……いいにおいがする」
 風呂から出てはっきりした。甘い香り。好きなものだ。
 でも、どうして八代が知っているのだろう。言ったことがあっただろうか。それとも偶然か。
 ココアは身体があったまるからかな、と思いながら、リビングに顔を出した。
「先輩、お風呂、ありがとうございます」
「うん。おかえり、柘植サン」
「はい。ただいま戻りました」
 八代はキッチンに立っていた。
 やっぱり、甘いにおい。
「座って待ってて」
「……はい」
 傍に行こうとしたのに、ばれた。しかも止められてしまった。おとなしくダイニングテーブルに着こうとすると、
「ソファの方。そっちよりあったかいから」
「はい」
 少し過保護な気がする。と思ったが、大量に出血してぶっ倒れたのだ。それを八代は懇切(こんせつ)丁寧に介抱してくれた。その後もしばらく弘は起きなかったわけだし、心配にもなるだろう。
 ちょこんとソファに座る。好きな香りにそわそわした。
 キッチンから、忍び笑いの気配が伝わってきた。そわそわしているのまでばれてしまったらしい。恥ずかしいのに、嬉しかった。不思議な気持ちだ。
「はい。お待たせ、お姫様」
「わあ、ありがとうございます」
 トレイに載せられて出てきたのは、マシュマロが入ったココアだった。差し出されたマグカップを両手で受け取る。
 ――マシュマロ入り。
「……もしかして、父から?」
 マシュマロが入ったココアを淹れてくれるのは、父の(ひろし)だ。雅の好物でもある。
「知ったのは宇佐美サンから。ココアとマシュマロ買ってきてくれた。つくり方は、柘植サンが寝てる間に博さんに教わったよ」
 電話して訊いたということらしい。
「ありがとうございます……」
 なんだか照れてしまう。
 スープカップにもできる大きめの赤いマグカップに、あたたかいココアがとっぷりと揺れている。マシュマロがいい具合に溶けていた。
 訊かなくてもわかった。このココアは、練ってくれたものだ。生クリームも入っている。博につくり方を尋ねて、それをそのまま実践したのなら、絶対にそうしている。
「……おいしい」
 ほっとした。
 博が淹れてくれるものよりも少し甘めだ。加減がわからなかっただけかもしれないけれど、甘党の八代らしかった。
「ありがとうございます。とってもおいしい。好きです」
「よかった」
 小さく息をついた八代が微笑んだ。不安があったらしい。
「柘植サン、ココア好きなんだってね」
 硝子テーブルにトレイを置いた八代が、少し間を()けて弘の隣に座った。ちょうどカップに口をつけて飲んでいたから、弘は小さく頷く。
「柘植サン、俺の好きなもの知ってる?」
 尋ねられて、弘はこくんと首を傾げた。
「……お(うす)と卵焼きと茶碗蒸しと、ハンバーグと、鮭とマカロニのグラタンと、揚げ出し豆腐と、あさりの酒蒸しと、さんまのお刺身と、あとは(はも)……天ぷらは海老がいちばん好きで、お寿司はエンガワです。和菓子でしたら、練り切りと道明寺の桜餅と、柏餅と、(うめ)(ようかん)……洋菓子はチョコレートと、ショートケーキと苺のタルトでしょうか。モンブランとブランマンジェも。それから、ハニートーストと、フレンチトーストもです。甘めのもので、生クリームが添えてあるもの……あ、アイスはバニラです」
 ほかにも色々ある。
「たくさんありますから、できましたらジャンルを絞っていただけるとうれしく思います」
「……俺は柘植サンがココア好きだっていうのも知らなかったよ」
 弘はきょとんとした。八代は落ち込んでいるように見える。
「それとこれとは別ですよ」
「別じゃない」
 間髪入れずに否定され、弘は狼狽(うろた)えた。彼の中では繋がっているらしい。
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