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 父親らしいことは今さらできなくても、父親みたいなことをしようと懸命だった。わかっているよ、ではなく、わかっているつもりだ、という言い回しに表れている。
 八代も彼の心を無碍(むげ)にするつもりはなかった。
 弘と(ひろし)の関係を辿(たど)る。
 けれども、最近になって気づいた。
 親子のかたちは様々で、理想はあっても定型はない。
「急がないが、決定はしておいた方がいいだろうな。大学に無事進学できたとして」
「落ちるつもりはさらさらありませんよ」
「在学中でも、おまえの視点からいうところの『無事』でいられるかはわからない。卒業したらなおさらだ」
 また新たな蝋燭(ろうそく)が立っていた。
 進路に迷っていたときの、じりじりと減っていく蝋燭とも、弘から逃げていたときの、終わりはないのに突然消えてしまうかもしれない蝋燭とも違う。
 一生つきまとってくる蝋燭だ。
 八代が死ぬまでけして消えない。
 朋幸が死んだとき、(ある)いは消えるのかもしれなかったが、そうだと断言できるほど楽観できるものではなかった。
「後日また連絡します。結果がどちらでも報告しますので、待っててください。いつも何時くらいなら()いてるんですか? ばらばらですよね」
「ばらばらだから仕方ないだろう。いつ電話してくれてもかまわない。すぐに出る」
「いつでもいいってことはないでしょう……仕事してくださいよ」
 ふふふ、とかすかな笑声(しょうせい)が聞こえた。
「しているとも。――息子にかまってもらえるのがうれしいだけだ」
 息子。
 朋幸はとても自然に言った。
 ――お父さんとは呼ばないんですね。
 ――時間が経ちすぎてるんだよ。
 まだ、間に合うだろうか。



 その気にならなくても、因果関係をきっちり洗い出して整頓して順番に話すことはできたけれど、八代はあえてそれを放棄した。雅が言った、「順序なんてこの際無視で、とにかく思いつく限り全部ばーっと言っちゃう」を採用することにしたのだ。
 思いつくまま思いついた順に情報を開示していった。
 弘も弘で呑み込みが早いので、八代が話し終わったあと、彼女は
「――という理解で間違っていませんか?」
 と、実に見事にまとめてくれた。
 大体、八代をこれ以上なく臆病にさせていた秘密はふたつともさらしてしまっているから、ほかのことは気負わず言えた。
 少し不思議な気がしたし、意外な気もした。
 大きな秘密でないにせよ、八代をずっと捕えてきたものだ。殴られ続けたのも左目を(えぐ)られそうになったのも、(はさみ)を避けて首筋に消えない傷痕(きずあと)が出来たのも、眠れずに倒れて原級留置になったのも、――ずっとずっと相手との合意のもとで、自分自身に暴力を振るってきたのも。
 とても怖いことだ。
 怖かったことだった。
 嫌われたり軽蔑されたりしないだろうかという恐怖は、抱かなかった。
 もう、()てられないとわかっている。
 隣で寝こけている弘は、平和を絵に描いたような顔をしていた。
 中学に上がるまでは大変なものだったらしい弘の寝相だが、一緒に寝てみるとそうでもない。ころんころんと寝返りを打つだけで、至って普通、健康的だ。機械仕掛けのおもちゃみたいに跳ね起きる、あの起床の仕方の方がよほど衝撃的だった。今はもうさすがに慣れたが、寝癖のついた髪を見ると笑ってしまうのは変わらない。
 弘の部屋のカーテンは、明かりをやんわりと(さえぎ)る程度だ。八代の部屋の遮光カーテンのように、天気すらわからないなどということがまったくない。おまけに左右もぴっちりとは閉じないから、月が明るい日なんかは、隙間から月光が漏れ入ってくる。
 目覚まし時計の音と同じくらい、その部屋の明度のやさしさに馴染(なじ)んでしまったから、カーテンはいつも細く隙間を空けて閉じた。遮光カーテンが意味をなしていない。
 とても晴れていた。
 空が明るい。眠れるようになって、はじめて知ったことだ。夜でも明るい日がある。真っ暗ではない。影ができる。満月でなくても、人工の明かりが窓の傍にあるのかと思うほどのときもある。
 これまでずっと、夜は真っ暗で、何も見えない時間なのだと思っていた。
 背を向けていた弘が、ころん、と八代の方に戻ってきた。いつものことだが、実によく眠る。
 ぴよんと跳ねている前髪と指先で遊びながら、思った。
 いよいよ駄目だな。
 弘から言われただけではない。八代も、弘から言われた言葉とそっくり同じ言葉を返した。成立したのだ。確かに自分たちは未成年で、社会的には満足に立ち回ることもできない。けれど、自我はとっくに確立されている。
 だから、放った言葉は誤魔化せない意思を持ったものだ。
 もう、建前という言い訳は利かない。
 ――言い訳は、しない。



 婿養子として迎えていただけませんか、と言ったら、
「うんいいよ」
 雅はけろりと承諾した。
 たぶんそんな感じの返答が来るだろうなと予想していたから、驚きはない。代わりに、ほんとに言った、という驚きはあった。
「みーさんそんな軽く……言わんとすることはわかるんだけど、大きなことなんだから、もうちょっと深刻に受け止めようよ……」
「そんなこと言ったってまずは結論でしょう。博さん反対?」
「全然」
 湯呑(ゆのみ)の中から、博が()れてくれたほうじ茶の香りがのぼってくる。懐紙(かいし)の上には栗の茶巾絞りが載っていた。昼間に博と弘がせっせと絞っていたものだ。
 ほうじ茶を飲んだ雅が、うんと首を縦に振る。
「ということだから八代君、うちとしては何も問題ありません。――でも、」
 こくん、と首を傾げた。
「八代君のおうちは? こちらの一存だけでは決められないよ」
「婿養子を希望している(むね)は伝えてあります。理解を示してくれました。……僕は」
 いつの間にか、まっすぐ見られるようになっていた。雅の視線が弘と同じ嚆矢(こうし)の眼差しで、透徹(とうてつ)の瞳であることも以前とまったく変わらないのに、もう恐ろしくは感じない。
 ――これは言った方がいい。
「家での立場が非常に微妙なんです。父……の会社を継ぐ気もなければ、就職する気すらありません。ですが、家の中には――少数ではあるものの、僕を(よう)しようという者がいるらしいと。……父、にも、弟にも迷惑をかけたくないんです」
 逃げられない蝋燭の持ち主の姿は判然としない。
 ただ、欲望と悪意であることだけはわかる。
「このように表現すると、逃げているようにしか聞こえないことはわかっています。結婚を口実に外に出ようとしているように聞こえると――そう思われても仕方ありません」
 雅は「失礼」と言ってテーブルに(ひじ)をつくと、左右の指を組み合わせて顎を乗せた。にこりと笑う。
「違うのよね」
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