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「とても見たい」
「正直で何よりです」
「きっとかわいらしいぞ」
「でしょうね。あ、ちょっと待ってください。――柘植サン、ごめんオーブン見てもらえる? たぶんそろそろ」
 スマートフォンは便利なのだが、電話口を押さえるということができない。だからリビングから出ての会話だった。
 ひょこりと顔を出した弘が、小さな声で「はい。きれいに焼けていますよ」と応えてくれた。
 スコーンを焼いているのだ。買い替え時らしいオーブンは、熱の行き渡り方にちょっと癖が出はじめている。
 八代は朋幸に現状を説明した。最初から包み隠さず話した。眠れないのが当然だったのに、弘に抱かれたらあっさり寝られて、それが発展して今では八代の部屋で寝ることもある。
 どんな反応をされるか、和解しただけに戦々恐々な部分もあったのだが、養父は穏やかに微笑んで、
 ――眠れる場所を見つけたのだな。
 と言ってくれた。
 八代が眠りに関して抱いている深刻さを考慮しても、意外といえば意外だ。
 無責任なことはするな、なんて、そんな台詞もなかった。信じてくれているのだ。よそ様の大切なお嬢さんなのだから、自信を持って胸を張れるくらい大切にしなさいとは言われた。
「弘さんがいるのか」
 電話のむこうで明らかにそわそわしはじめた。
「話すのは控えてください。長いでしょう。困らせないでくださいよ」
「困っていたかな」
「困ってはいませんでしたけどね……俺が居た堪れない気持ちになるんです」
 そうか、では控えよう、と朋幸は引き下がってくれた。
「八代。……かたちだけでも……」
「はい。相談します」
 電話を切る。リビングに戻ったら、キッチンでは弘がくるくる働いていた。八代に気づいてにっこりする。
「ご覧ください、(おおかみ)さんのお口」
 上手い具合にふくらんだスコーンは、真ん中がふっくらと割れている。
「博さんと雅さんって、スコーンは好き?」
 食べているところは見たことがない。が、弘がてきぱきつくったところから察すると、まったく無縁ではないだろう。
 弘は出来立て熱々のスコーンをはくっと割った。「熱いので気をつけてくださいね」と言って、キッチンペーパーに包んで手渡してくれる。本来冷ました状態で食べるものだが、八代は焼き立ての熱いのも好きなのだ。
「好きですよ。たまにアフタヌーンティーごっこをします」
「ごっこ?」
「朝の八時はアフタヌーンではないでしょう?」
 雅の気まぐれか。
 熱い甘い香りがふわふわ広がっていく。火傷(やけど)してしまわないように吹き冷まして、ちょんと唇に触れさせてみた。食べられる温度だ。
「ん。おいしい」
「ありがとうございます。明日ケーキも焼きますからね。サンドイッチもおつくりしますから、お昼ごはんにいたしましょう」
「ケーキスタンド欲しいね」
 弘は、三段が理想ですね、と笑った。
「お夜食にスコーン召し上がりますか? 少し多めに焼きましたので余裕がありますよ。……お夜食にスコーンは重いでしょうか」
「食べる。でも、クロテッドクリームもジャムもなしで」
「わかりました」
 ケーキは何にいたしましょうかと上機嫌で言いながら、弘がスコーンを皿に移して並べていく。明日の昼はサンドイッチとスコーンとケーキか。贅沢(ぜいたく)だ。楽しみだった。
「ねえ、柘植サン」
「はい。なんですか、先輩?」
 弘はすぐに慣れたようで、最近は『久我』のくの字も出さない。
「明日、昼食べたら柘植サン()行ってもいい?」
 ほっこりとしたスコーンを食べ終わる。指先についた最後の甘いひと欠片(かけら)を口に入れた。
 弘がぱちりと(まばた)きする。
「もちろんかまいません。父と母に何かご用がおありなのですか?」
「今後の相談」
 時間がないからといって慌てて解決するものでもない。そもそも、その『時間がない』だって非常に漠然とした脅威なのだ。いつやって来るかがわからない。
 ――だったらやっぱり慌てなきゃだめなのか。
 でも、焦りを理由に物事をおざなりにしたくなかった。
「はい。わかりました。スコーンがおみやげになりますね」
「そんなに焼いたの?」
 弘はふふっと笑った。
「お忘れですか? わたしはいっぱいおなかが()くのですよ」
「……そうだったね」
 よく食べるのだ。ぺろりぺろりとなんでも美味そうに平らげる。
 昼を少し早めに取るし、量も多いから、明日の朝は軽いものにしよう。(とり)出汁(だし)(かゆ)でもつくろうか。それにしたって弘はよく食べるだろうから、結局それなりの量をつくることになる。
 八代と半分こした焼き立てのスコーンをもぐもぐしている弘を見て、そういえばいつの間にか献立(こんだて)を考えるようになったな、と思う。
 腹に入ればみな同じだし、腹がふくれればいいとしか思っていなかったのに。
 大切なひとと囲む食卓は、いつだってあたたかく幸福だった。
「柘植サン、ウェディングドレスに(あこが)れがあったりする? 結婚式挙げたいと思う?」
「いいえ」
 そんな、ものすごくばっさり否定しなくても。
「……。白無垢?」
「いいえ。ドレスにも白無垢にも憧れたことはありませんね。結婚式も――お呼ばれしてお祝いするのは好きですが、自分が挙げたいかと問われますと、特になんとも思いませんよ。先輩はご希望なのですか?」
「どちらかというと俺は挙げたくない」
 注目されるのはいやだ。
 わかっているのだかいないのだか、弘はおっとりと笑う。
「恥ずかしがり屋さんですものね」
 これは、わかっている――ことになるのだろうか。当たらずとも遠からずではある。
「ドレスにはあまり興味がありませんし、()かれませんが、花冠には憧れがあります」
「花冠なんてあるの?」
 それはちょっと気になる。
「あります。花冠でヴェールを留めたりしますね」
「……どんな花をご所望で?」
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