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 話すことといったらもう大概決まっているので、柘植夫妻も当たりはついている。だから、まどろっこしい説明はいらない。
「んー。入籍ねぇ……養子縁組か」
 猫舌の雅は、なかなかひとくち目を飲めずにいる。
「慌てなくてもいいのですよね」
 隣の弘に確認を取られて、八代は「心情的にはね」と答えた。
 八代の視点からいうところの『無事』が脅かされるかもしれないという状況が結婚を迫っているのであって、気持ちとしては急いていないのだ。
 雅が、んん、と唸る。
「でもなー実際ほんと難しいよね、まーさすがに八代君の意志完無視で事が進むとは思わないけど」
「お父さんが応援してくださってるしね」
「そうなのよ。でもなーでもなあ。何がどうなるのかわっかんないのよね後継問題とか相続問題は……普通養子縁組って縁が切れるわけじゃないからね」
「失礼ですが、何かあったんですか?」
 雅も複雑な事情持ちだったのだ。
「特別な何か、っていうほどの大変動があったわけじゃないんだけど……私の母が他界したときにね、ちょっとばたばたしたの。母がどうってことじゃなくて、母の実家との間でばたばたと。私は外に出た身だし戦力外通告もされてたのに、それでもやっぱりばたばたしたのよ。ちょっと込み入ってるから内情は省かせてね。正直に打ち明けると、厄介(やっかい)だったし面倒でもあったわ。幸いなことに、こっちに戻ってこいとは言われなかった」
「独身だったらわからなかったね」
「ほんとよ。どうなってたか考えるの怖い。シングルマザーの場合を考えても結構怖い」
 ふうっ、と湯気を吹いて、雅はやっとカップに唇をつけた。博はスコーンをぼくぼくと割っている。
「身を守るためにも組んどくのはいいかもね。それで避けられるトラブルもあるし。縁は切れなくても、もう家を出た身ですっていうのは――免罪符にはならなくても、必ずしも無力じゃないよ」
「父にも同じことを言われました」
「ほう。てことは双方両親納得済み」
「はい。ただ、ふたりとも学生ですし、ご迷惑をおかけすることになってしまいます。経済的な自立も困難です」
 雅はからっと笑った。
「迷惑はいいのよ、生きてる限りかけたりかけられたりするものなんだから。迷惑なんて存在として発生した瞬間から誰かにかけてるんだからね、それはいいの。申し訳ないじゃなくて、ありがたいと思ってればそれでよろしい。経済的な面はまあ確かに完全な自立は難しいでしょうね」
「頼ってくれていいんだよ。事情は色々ある。八代君は少し特殊な部類かなとは思うけど、周囲に頼ることで日常が保たれるなら助けを求めていいんだ。悪いことじゃないよ」
 日常は大切よ、と言いながら、雅はカップを置いた。スコーンにクロテッドクリームを塗る。
「したことないからわからないけど、学生結婚なんてそんな感じじゃないの? 特にきみの場合は必要に迫られてる感満載の理由からの学生結婚の選択だし、反対する気はないわ。可能な限りサポートしますよ。お母さんだもの」
「そう、お父さんだもの。――スコーンおいしい。久しぶりだな」
 雅は弘と同じ仕草で、こくんと首を傾げた。
「双方の両親納得して認可してるけど、入籍したとして、それでも学校ってとやかく言ってくるもん?」
「どうだろう俺の周りにはそういう人間いなかったからお答えしかねますよ。……いや違う一組いるな。でもあそこは片方社会人だったし……そうだなあ……高校はたぶん学校側から退学勧められると思う」
「義務教育じゃないのに?」
「義務教育じゃなくても」
 雅は思いきり不服の表情を取った。隠しもしない。『箱』との相性が最悪だとわかって高校を退学し、思いつく限りから借金をして単身フランスに逃亡した身としては、学校という名の人物の性格の四角四面な在り方は納得がいかないのかもしれなかった。理解はしていても苦いものではあるのだろう。
 博が穏やかに続けた。
「大学生にしろ、世間の目はあんまりあたたかいとは言えないかな」
「……」
 どうしてこんなに早くに? 学生の本文は学業。卒業してからでいいのでは? 就職してからの方が現実的では? 学費は半額、もしくは全額免除してもらえるかもしれないけれど、生活費はどうするの?
 周囲から言われそうなことは、どれももっともな疑問であり、質問だ。
 八代には理由がある。他人に話すには抵抗のある内容だし、実際に何事か質問されたとしてもそのまま答えることはないけれど、とにかく理由はあるのだ。
 弘は? 結婚は早すぎるのでは、何故もう決断したのかと訊かれて奇異の目で見られたとき、彼女はどうするだろう。
 幼い頃から腫れ物に触るような扱いをされたり、責めるような視線にさらされたりしてきた八代は、それほど何も感じない――と思う。理由があることもあって、事情があるからという一言で決着をつけられる。
 ――でも、柘植サンは?
 結婚するのだから、弘にだって理由があることになる。それはわかっているけれど、気にかかって仕方がない。彼女は周囲にどんなに責められても、(やま)しいことがないのだから堂々としているだろう。だからといって、傷つかないかといえばそれは別問題だ。
 隣に座る弘を見たら、思いがけず目が合った。
 にこ、と微笑まれた。
「わたしでしたら大丈夫ですよ、先輩」
 信じるしかない言葉だった。
 弘に肯定されたら、八代は何も言えない。
「ただ、退学勧告は困りますので、卒業を待っていただけませんか?」
 待つに決まっている。
「あとたったの一年だね。……違うかな。あと一年は、長い?」
 博に問われて、八代は「いいえ」と否定した。
 あと一年が長いわけがない。
 眠れずに過ごした夜の方がずっと長いのだから、そういう意味での焦燥(しょうそう)は感じなかった。
「じゃあ入籍に関しては弘が卒業してからってことでいいのかな? お食事の際にお話ししようとは思うけど、八代君がまずお父様にお話してね。意思と希望を伝えるのは大事よ。私たちはそれで賛成です。――ひーちゃん、もしかしたらの話ではあるけど、奇異の目で見られる覚悟はある?」
「あります」
 迷いのない返答だった。
 雅が満足げににっこりと笑う。彼女は娘の腹の(くく)り方が好きなのだ。未熟なりに考えて、選択し、決意して、貫きとおすところに自信を持っている。
 ――うちの娘()めてもらっちゃ困るのよ。
 きっとそういうことなのだ。
「それからこれはちょっと別件。……別件になるのかな? 八代君のお父様にお話ししないでこんなことを言うのはなんなんだけど――」
「みーさんちょっと待って」
「八代君、もうひーちゃんと暮らす?」
「……だからみーさん待ってって言ったのになんで聴いてくれないかな……?」
 スコーンを持ったまま博が項垂(うなだ)れた。
「暮らす――というのは」
「いやだって実際もう暮らしてるようなものでしょう」
 ぐうの音も出ない。
「お母さん、わたしそんなに先輩のところに入り浸ってるように見える?」
 弘はまったく動じていない。女性ふたりが実に強い。
「入り浸ってるとは言えないね。ちゃんと帰ってきてるし、生活基盤はこっちにあるよ。今はね。でも、」
 雅はたおやかに微笑んだ。
「弘。――あなたが帰る家は、もうこことは違うんじゃないの?」
「おかあさん、……」
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