白雪姫の魔法の鏡  |  next   

シンデレラにガラスの






 次子(つぎこ)は腹立たしい気持ちでいる。
 この男はどこで次子の居場所を把握しているのだろう。
 誰にも言わないから盗聴器は意味をなさない。すると監視カメラだろうか。それとも密告者がいるのか。
 そんな勘繰りをしたくなってしまうほどに、八代(やしろ)は次子の居場所を探り当てて隣に寄ってくる。決まって煙草をふかしているときだ。当然のように傍らに来て、当然のように煙草をせびり、当然のように火を借りて自身も煙を揺らす。
 屋上にいた。
 体育をサボったのだった。
 次子は単位を落とすギリギリまで体育をサボることにしている。能力がないわけではないのだが、面倒くさい。そこを考えると、面倒だと連発しながらもきっちり授業に出る綾野(あやの)は心底真面目だ。
 煙草を吸うのに屋外はいい。なんといっても大気が滞らないから、室内と違って匂いが()もらない。証拠隠滅のための換気をしなくていいのだ。特に授業中ともなれば屋上には誰も来ないし、最低限度の警戒だけで済む。非常に都合がよかった。最近は関係者以外立ち入り禁止の温室に無断で入り込むこともあるが、普段は施錠してあるのでそちらは時間帯を選ばなければならない。
 園芸部員である八代が温室の開放時間を知っているのは当然だし、そこで鉢合わせるのは疑問もないし問題もないのだが――
 ――その他の場所で、何故こうも会うのだろうか。納得がいかない。
 うっすらと中途半端な曇天の下、風はいつものように強く、紫煙(しえん)が流れて消えていく。歩いてきたのを素知らぬふりで煙草を(くわ)えていたのだが、案の定八代は隣に並んできて横から手を出した。譲った煙草の本数など覚えていないが、一度も向き合って頼まれたことがないのは確かだ。
「有馬サン、一本ちょうだい」
「いい加減聴き飽きた台詞(せりふ)だな。自分で調達しろよ」
「最近は取り締まりが厳しいからねえ。なかなか」
「だったらなおさら自給しろ。あたしだって一応苦労してる」
 言いながらも、次子は箱から一本抜き取りくれてやる。常と同じく、人差し指と中指で挟んで渡す。そしてやはり、八代も次子と同じくして受け取った。
「火、ちょうだい」
「せめて持っとけ」
 でもくれてやる。
 八代は差し出されたマッチを受け取って火を点け、煙草の先端に熱を移すと、一瞬しか使われなかった棒っきれを振って火を消した。苛々(いらいら)するほど当然の仕草でマッチ箱と燃えがらを返してきて、次子は舌打ちしながら(すす)けたマッチ棒を携帯用の灰皿に入れる。
 今日も一言の礼もない。
 次子はどうでもいから気にならない。
 長い指で挟んだ煙草を咥え、八代は音を濁らせることもなく器用に喋る。
「どうやって調達してんの」
「色々と掻い潜って。次からは金取るぞ」
 ふう、と煙を吐き出しながら言った言葉に、八代は愉快そうに笑った。
「いいよ。金なら余ってる」
「あたしはあんたを張り倒したい」
「熱烈だね」
 ふたりとも、屋上のフェンスに背を預けている。なんとなく座る気にならない。理由なんて考えたこともないが、いつも立っている。そうして、未成年において大変よろしくない行為のひとつであるところの喫煙をしている。成人したからといって薬になってくれるものでもないが。
 八代がどうして喫煙するのかは知らない。興味もなかった。自分自身についても、記憶はおぼろげではっきりと思い出せない。何かのきっかけはあったように思う。誰にも打ち明けたことはないが、見当だけならいくつかある。
 だが、思い出そうと努めたことはない。必要性を感じられなかった。
 風が吹き過ぎていく。
 高いところ特有の、乾いた冷たい強い風。次子の繊細な針金のような短髪をばらりと乱し、八代の意外にもやわらかそうな漆黒を散らして去っていく。
「有馬サンが煙草吸ってるところ、色っぽいね」
微塵(みじん)の本気もこめられてない賛辞をどうも。あんたが煙草吸ってるところは卑猥(ひわい)だな」
「素晴らしく(けな)してくれてる褒め言葉をいただいて光栄だな。――思わずしたくなる?」
「……あんたはそういうことしか言えないのか」
「言えない」
「あたしはあんたを張り倒したい」
「熱烈だね」
 答えると、再び八代はおかしそうに笑った。面白がっている。それは明らかだが、単純な言葉遊びやブラックユーモアを心から楽しんでいないことも明白だった。
 ふたりだけの際の会話はいつもこうだ。
 次子も八代もお互いにどうでもいいことを言い、どうでもいい返答をする。次子は内容によっては本当に苛立(いらだ)ったりもするのだが、八代がどうなのかは判然としない。彼は自己を隠蔽(いんぺい)することに慣れきっている。久我(くが)八代という役はどの角度から見ても壊れない。矛盾なくまったく異なる顔を演じることに長けているのだ。彼には裏表がない。隠していないのだから、どんなに異なる顔を持っていても、裏と表、という表現は限りなく誤りに近い。
 綾野(あやの)は八代に嫉妬している。妥当な感情だ。現在の彼女にとって、弘は誰より大切だ。視野狭窄(しやきょうさく)を招いて混乱し、激情を抑えきれないほどに。
 鷹羽(たかは)伊織(いおり)も怯えているように見える。伊織は負けん気が強いから、喚き散らすという行為で不安を発散させているけれど、鷹羽は――危うい均衡だ。恐らく(もろ)い。
 それでもって、次子は彼とポーカーでもするように本心をはぐらかし続けるような遣り取りしかしない。
 つまり、内輪に限って言えば、八代は弘以外の人間に対して冷酷で非情だ。
 弘と彼らが親しいことを知っているのだから、それこそ告げ口――密告、を危惧(きぐ)してもよさそうなものなのに、していない。八代がその程度の考慮をしていないわけはない筈なのに、何の口止めも誤魔化(ごまか)しもしていない。不可解だ。
 弘は八代を慕っている。話を聴いていれば、表情を見れば一目瞭然だ。
 花が好きで、茶を()れるのが上手くて、博識でやさしい――弘の彼に対する評価は大体こんなところ。誰からも八代の薄暗い闇を聞かされていない。
 ――聞かされているのかもしれない。
 可能性としてはある。けれど、彼女にとっては情報なのだろう。
 話を聴いていればわかるのだ。
 表情を見れば、一目瞭然なのだ。
 弘は彼を慕っている。
 どうしてなのだろう、という疑問がないわけではない。でも弘のことだから、推測はできる。
 難しいことはない、言葉通り、やさしくしてもらっているのだろう。花の育て方や手入れの方法などを教わり、休憩に茶を淹れてもらっているのだろう。
 たったそれだけのことを大切にして、信じているのだ。
 馬鹿だとは思わないが、愚かだとは思う。
 そして次子も、弘と対峙(たいじ)しているときの八代が十割虚偽だとは考えていない。八代のことなど信じてはいないが、それとこれとは別だ。
 はじめて会ったときも思った。
 温室で煙をくゆらせていたとき、至近距離で瞳の色を確認し合ったときに、確かに思った。深いところで発生した泡が、水面(みなも)を目指して浮いていくように引き出された推測。
 ――八代は己の表裏の境界線を自覚できていないのではないか。
 だから彼には表裏が存在しない。もしこの推測が当たっていれば、使い分けているわけではないことになる。意図していない。
 単なる仮説の域を出ない考えではあるが、てんで的外れ、ではないだろう。薄暗い闇が真実であるのなら、きっと弘はあれほど単純には慕わない。すぐさま見抜いてしまう筈だ。だからきっと、
 ――弘は本当に、誰からの情報も得ていないだろう。
 弘があまりにも無防備に笑っているから、誰も口に出せないでいるのだ。嫉妬であったり恐怖であったり、そんなものも含めて彼女をそれぞれ愛しているから、あらゆる意味で進退(きわ)まってしまっている。――弘は、久我八代という人物を、肌で感じ取っているのだろうと思う。だとしたら、彼の冷えきった心にも高い確率で気がついている。
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